クロアチアのドゥブロヅニクは、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナと国境を接する地域にある歴史都市。キリスト教国とイスラム教国の狭間に位置し、民族紛争の中で美しい街並が残ったことは、「バルカンの奇跡」と称えられる。イタリア半島から来た移民の末裔の街。全長三八〇メートルのプラツア通りは、海を埋め立てたものである。イタリア移民たちは、岩だらけで作物が実らないこの地に来て、背後の豊かな大地のスラヴ人との交流なしに生きてはいけなかった。
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異民族との共存の願いが、民族を隔てていた海を埋め立てさせたのだ。民族の混交はセルビアとオスマン帝国に挟まれながらも、外交上手な交易都市を生んだ。ゴシックとルネサンス両様式が取り入れられた歴史的建造物が数多く残り、この街の繁栄を物語る。しかし一九世紀に入り、否応なく近代国家に呑み込まれた。クロアチアはオスマン帝国軍が迫るとハンガリー王国の傘下に入り、ハンガリーがオスマン帝国の手中に落ちると、ハプスブルク家を頼って生き延びた。しかし二〇世紀末の内戦で、美しい都市は破壊された。クロアチア独立を阻止しようとする、セルビアを中核とする旧ユーゴ連邦軍が一九九一年一〇月から艦砲射撃や戦車砲などの攻撃を繰り返し、旧市街は大打撃を受けた。けれどもこの都市はすぐに危機遺産リストに登録され、内戦終結後、ユネスコのアドバイスと援助により、クロアチア政府と市民が修復に着手。中世の街並が、かつての技術、材料、道具を使い忠実に復元された結果、一九九八年に危機遺産リストから削除された。